日本正教会

高清水ハリストス正教会・主の顕栄聖堂

外観

内観

所在地
住所
〒987-2133
宮城県栗原市高清水桜丁37
所在地マップ
管轄
司祭 ルカ 田畑隆平
問合せ
住所
〒986-0827
宮城県石巻市千石町4-10
石巻ハリストス正教会
TEL/FAX
0225-95-1571
E-mail
st.j-orthodox_isnmk@
jasmine.ocn.ne.jp
祈祷案内
お祈り(晩祷・聖体礼儀)
・晩祷
第4土曜日 午後6時30分
・聖体礼儀
第4日曜日 午後6時30分

1875年(明治8)に最初の洗礼が行われた後、この地の多くの青年が上京し、神品多数を輩出する。現会堂は1974年(昭和49)建立。イコノスタスは山下りんの聖像。毎月管轄司祭が巡回。

教会の沿革

1873年(明治6年)8月、伝教者パウェル津田徳之進は以前から面識のあった高清水の旧領主石母田備後の紹介を得て、当時築館と高清水の小学校長を務めていた針生大八郎(当時41歳、後のティモフェイ、司祭となる)を訪ねて正教を伝えた。大八郎は郷里高清水での布教を津田に進言して積極的に紹介の労をとり、また石母田家の厚意によって廃屋になっている城内の建物を伝道所兼宿舎にあてたことから、特に10代から20代の青少年(主に石母田家の旧家臣)たちが日夜を問わず集まって熱心に教理を研究した。

一方針生父子はキリスト教に協力しているという理由で教職を罷免されるが、かえって正教の布教に尽くそうとして上京し聖ニコライより洗礼を受け、そのまま滞在して教えを受け共に伝教者となって任地に赴いている。

この間、高清水には当時伝教者であったイオアン酒井、ティト小松、パウェル田手、イオアン小野、マトフェイ影田などいずれも後に司祭になった人たちが交互に訪れて多忙な津田伝教者を助け、啓蒙者にも教理学習会を設け、読書会は土曜の晩をのぞく毎日午後6時から主として子供達を対象に聖書の素読を行い、輪講会と称しては有志7名の家を輪番会場として家族や隣人を招いて啓蒙書「教の鑑」の学習を行った。

1875年(明治8年)11月13日、パウェル澤辺神父が巡回し、翌14日からの3日間で啓蒙者46名が受洗し、7名が啓蒙式を受けた。その後、多くの青年たちが教役者の道を志して上京し、神学校や伝道学校、詠隊学校に入学している。1874年の針生父子に続いて1882年までの間に20数名が上京し、この中から司祭4名、神学校教授1名が輩出した。

当初伝道所としていた石母田家の家屋が老朽化しニカノール村上の屋敷内建物を仮会堂とした。次いで1876年(明治9年)9月会堂を新築した。1883年(明治16年)に中古家屋を譲り受けて司祭館とし、1894年に現在地に会堂と司祭館を移築した。現会堂は1974年に建て替えられたものである。