信仰

「信経」では、まず「我、信ず、一つの神」と言います。神様は唯一であることが第一に信ずべきことなのです。

ある人は、神様などいないと主張します。哲学的に考えたり科学的に考えたりして無神論を唱える人もいますが、苦難や不幸の故に「神などいない」と思う人もいます。私たちは、どんなことがあっても無神論に陥ってはなりません。

またある人は、自然の中に満ちている力そのものが神であるなどと言います(汎神論)。よく「宇宙の霊的なエネルギイ」とか「科学では証明されない不思議なパワー」などと言って、特別な儀式などをとおしてその力との一致を唱える人たちもいます。しかし、それは私たちの信じる唯一の愛の神ではありません。

同じように、「宇宙の根本」とか「世界の第一原因」などといって神を理論づけようとする人たちもいます。論理を組み立てて人間の狭い理解で神を把握しようとし、抽象的な概念として神を定義づけようとします(理神論)。しかし、それは私たちの信じる唯一の生きた神ではありません。

また、それぞれの自然の中に宿る神秘的な力を神として崇める考え方があって、それによれば山や海や木や岩や星や動物や、そして人間も神になります(多神論)。所謂「八百万の神」であり、偶像崇拝の宗教です。その人々は初日の出を見て太陽を拝みますが、私たちは太陽を創造した唯一の神を拝みます。

さらに、そんな多くの神々の中から優位に立つ者を選んで、その一つだけを崇拝の対象にする宗教もあります(単一神論)。しかし、それだと人間の都合によって、神が交替してしまいます。「一つの神」を信じているといいながら他の神々の存在を否定しないので、多神論であることに変わりありません。私たちは、神々の中から一つを選んでいるのではなく、「唯一」の神を信じています。つまり他に神を認めず、絶対的な神様を信じているのです。

私たちは、その唯一の神を「父」と呼びます。それは第一に神の子ハリストス(キリスト)との関係を明示しています。つまり神が「父」「子」「聖神」の三位一体の神であることをすでに表明しているのです。三位の「位」とは、「ペルソナ」とか「ヒポスタシス」などと言われる言葉の訳語で、他にも「位格」とか「個位」など訳されます。普通は「人格」とも言われますが、相手は神様ですから「人格」ではなく「神格」といったほうが正確でしょう。つまり、神には三つの「神格」があるのです。しかし、その三つはまったく同じ神としての本性をもっているので、一つの神でもあるのです。三位一体そのものを説明するよりも、三位一体でないもの(異端の教え)を説明し、それを否定する方がより正確です。

まず、神・子と呼ばれるハリストス(キリスト)と聖神は、神によって造られたものであって神そのものではないと教える異端があります。これは真っ向から三位一体を否定しています。

次に、神様は、時代によってご自分を表す形態を変えていったと教える異端があります。つまり、一人三役というわけです。旧約時代は「父」として、新約時代は「子」として、その次には「聖神」として神様が仮面を変えていったと言っているようなものです。これは神の三つの「神格」を否定しています。

もう一つ、神様の内部を三分割して考えようとする異端があります。つまりちょうど一人の人間の中に意志と肉体と霊があるように、父と子と聖神を分けて把握しようとするわけです。これは三位一体の神を概念としてしかとらえていません。

もちろん、父と子と聖神という三つの神々がいて、それぞれ息をあわせて人間界を管理しているなどいうのも異端です。神は唯一の神なのです。神が三位一体であることは、神によって造られた人間の存在の基礎であり、救いの根源です。

さて、神を「父」と呼ぶのにはもう一つの意味があります。それは私たち人間との関係です。ハリストス(キリスト)と「父」は本質的な親子関係ですが、私たちと「父」なる神とは本質的ではなく恩寵による親子関係です。私たちは、神様に似せて創造された存在だからです。神様は抽象概念でも無人格な力でもなく「生きたお方」であり、父が子を愛するように、私たちを愛しているという意味も「父」の言葉の中に込められています。

その生きた愛の神は「全能者」です。つまり、「全て」のことが「可能」である、神には何でもできる、神様にできないことは何もない、という意味です。しかし、この神の「全能」を理屈でこね回したりしてはいけません。神様なら○○ができるはずなのに、現実できてないのだから全能なる神などいない、といってはいけません。自己矛盾することは全能の神にもできません(正確にいえば「なさらない」)。愛する子供を憎んでナイフで殺すなどということは人間の親にもできません。能力としてできないのではなく、矛盾しているからできないのです。神様も同じです。しかし、神は「全能」であり、私たちの知恵をはるかに超えた偉大な力をもっておられることは、信仰深く受け止めるべきことです。「神には何もできないことはない」と言った天使の言葉を信じたからこそ、マリヤはハリストス(キリスト)神を生む女性となったのです。

神は全能の力で「天と地、見ゆると見えざる万物」を創造されました。神が万物を創造されたと信じる時に注意しなければならないことは、第一に造った者と造られたものとは明らかに本質的に違うということです。神はこの世を造った以上、この世の中にはいません。この世を越えた存在です。しかし、造られたこの世の中には、その神の創造の力がみなぎっていることは確かです。第二に、神は万物を「無から」創造されました。創造すべき材料が始めからあってそれを組み立てたのではありません。万物には全くの「始まり」があるわけです。「始まり」がないのは神様だけです。第三に、神は万物をすべて「善」なるものとして創造しました。神様が造ったもので、悪いものは何一つありませんでした。「物質は悪、精神は善」という二元論は否定されます。三位一体の神が万物を無から善として創造された、これを信じるところから信仰のすべてが始まります。

ページ上部へ戻る