かたち

信仰生活

正教会には、戒律とか律法などは一切ありません。基本的に「自由」であるのが正教徒です。聖使徒パウェル(パウロ)は、「すべてのことは私に許されている。しかし、すべてのことが益になるのではない」(コリンフ(コリント)前書6:12)と言いました。正教徒にとってもすべては自由ですが、もちろん信仰生活にふさわしくないことは当然避けなければなりません。また、正教会には信仰をもち、また深めるための手段として、さまざまな習慣があります。聖伝の中に培われてきたそれらの習慣に従うことは、正教徒にとって非常に大切なことです。

祈り

自分の家で「小祈祷書」に従って祈りをすることはとても大切です。「小祈祷書」の中の注意書きにあるように、祈祷文の意味に心を合わせないまますべてを読み上げるのではなく、たとえ一つの祝文でも心を用いて祈ることに意義があります。

教会の奉神礼に参祷することは、信仰生活に欠かせません。毎週日曜日は、復活を記憶して聖体礼儀が行われる日ですから、できるだけ参祷するのが普通の正教徒のあり方です。また十二大祭、中でも降誕祭や聖神降臨祭、そして復活祭には必ず参祷し機密を受けるよう奨励されます。教会の暦に従って祭を祝い、参祷することは、自分の生活が成聖されることを意味します。ハリストス(キリスト)の福音が祭への参祷をとおして自分の生活に浸みてくると言ってもいいでしょう。

聖書

普段から神の言葉である聖書を読むことも肝心です。何が語られているのか、どんな出来事が記載されているのか、どんな表現があるのかを心にとめながら読みます。それらの言葉のもつ深い意味は、神品教役者の教導によって理解され得るものです。言い換えれば、正教会の聖伝から離れて個人的に勝手な解釈をしてはいけません。日本正教会訳の新約聖書は奉神礼で用いられますが、何の注解もなしに読むには少し難解であることも現実です。聖書を素読するという点においては、一般の書店に売られている口語訳聖書や新共同訳聖書といった日本語訳を利用してください。聖書を読むことをなおざりにしていては、信仰は枯れてしまいます。

正教会には、暦に即した「斎(ものいみ)」の期間や日があります。「斎」とは節制の時です。斎をとおして自分自身を省み、より熱心に神に心を向け、祭を祝う準備をします。その中でも復活祭前の「大斎(おおものいみ)」が特に大切です。以下に「大斎」の手引きを簡単に説明します。

大斎の期間、肉食をできるだけ避けます。可能であれば魚肉も食べないようにします(タコや貝類はよい)。また乾酪類と呼ばれるバターやチーズ、またミルクや卵も食さないようにします。アルコール類は、土曜と日曜以外、節制します。その他、男女の交わりや娯楽や祝賀なども控えます。正教会では大斎の期間はもちろん降誕祭の前の斎の期間など斎には結婚式は行わないのが常識です。これら食事の面での斎は、まじめに取り組むことが奨励される一方、個人個人によって度合いが違いますので、いろいろと考慮されなければなりません。成長期の子供や体力のない高齢者や病者などに斎はすすめられません。また外食を余儀なくされる時、あまり目くじらを立てて思いわずらってはいけません。斎はタブーではありません。斎は体をいじめるためでなく、いたわるために行われるべきものです。大斎には、特別な祈祷が教会で行われています。平日ではありますが、可能な限りそれらの奉神礼に参祷することも斎の行為です。食事の節制をするのは、食べること(=生活)から我が身を振り返り、悔い改め、神に祈るためという目的を見失ってはなりません。特に「先備聖体礼儀」や「受難週」の祈祷には参祷するように心がけましょう。大斎には「エフレムの祝文」という痛悔の心に満ちた特別な祈祷をすることも奨励されます。

その他の斎は、「大斎」ほど厳格ではありませんが、節制の心や祈りの心は同じです。

祈り、聖書を読み、斎をしても、「愛」がなければ何にもなりません。聖使徒パウェル(パウロ)は、「山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ私は無に等しい」(コリンフ(コリント)前書13:2)と言いました。愛はすべての徳を包括しています。アガペーの愛で愛を実践するためには、忍耐とへりくだりと知恵が必要です。怠惰と絶望と高慢の心は、愛を妨害します。罪を憎みつつ人をゆるす努力をすることも重要な課題です。こうした愛が行えるように望みながら生活することを忘れてはいけません。

他宗教の中で

回りのほとんどがキリスト教徒でない日本の社会、まして正教会の世界とはかけ離れた近代日本の中で正教徒として生活するのは非常に困難なことです。世俗的な発想や習慣を知らないうちに身につけて正教会の信仰の発育をふさいでしまう危険性は否めません。しかし、そうならないためにこそ定期的に教会に行くことが大切です。また必然的に仏教の法事や神道の儀式などに参加する機会が多いでしょう。しかし、正教徒としての信仰をしっかり持ち、時には明らかに表明して、それらに対処しなければなりません。例えば、神社の祭を見学に行くことは問題ありませんが、手を合わせて拝んだり、お札などを買ったり、神輿をかついだりするのは当然してはならないことです。仏教の葬式や法事に参列しても、礼を失しない範囲でその宗教的な習慣にはなるべく従わず、死者のためにハリストス(キリスト)に祈る心を大切にします。

正教会は、この世の現実の生活が神に祝福され、迫害や困難のないようにも祈ります。すなわち国自体が平和で秩序正しく豊かであることを願って、正教会では国家の代表者のために祈ります。日本正教会では現在「わが国の天皇および国を司る者のために祈る」と唱えています。聖使徒パウェル(パウロ)は「すべての人のために、王たちと上に立っている人々のために願いと祈りととりなしと感謝をささげなさい。それは私たちが安らかで静かな一生を…謹厳に過ごすためである。これは私たちの救い主である神のみまえに良いことであり、みこころにかなうことである」(ティモフェイ(テモテ)前書2:1〜3)と教えています。

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