日本正教会

復活大祭の使徒経と福音経

使徒経 ( 使徒行実  1:1-8 )

  • 1:1 -2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
  • 1:3 イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
  • 1:4 そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
  • 1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
  • 1:6 さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
  • 1:7 イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
  • 1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

福音経( イオアン  1:1-17 )

  • 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
  • 1:2 この言は、初めに神と共にあった。
  • 1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
  • 1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
  • 1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
  • 1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
  • 1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
  • 1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
  • 1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
  • 1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
  • 1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
  • 1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
  • 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
  • 1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
  • 1:15 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」
  • 1:16 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
  • 1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。

出典先:日本聖書協会 新共同訳

受難週間と復活大祭(聖大パスハ)

洗礼祭のイコン

受難週間と復活大祭(聖大パスハ)

エルサレム入城の後、イイススは町を去りお弟子さん達に教えを続けられました。

ちょうど過越と言うユダヤの祭の前に、イイススは再びエルサレムに使徒を伴って 行かれました。

この時、一行は祈り、食事をするためにシオン山にある町の一室の二階にあつま りました。ここでイイススは使徒たちに神様を礼拝し(Divine Liturgy)、御聖体 をいただくこと(領聖)について教えられ、御自身の聖体を初めて使徒たちに授け られました。

  その日の夕方、主は使徒たちを伴ってエルサレム市近くのゲッセマネと呼ばれて いる庭園にあるケデロンと言う幅の狭い川の川岸に行かれました。そこでハリスト ス(キリスト)は使徒たちに、心して主に祈るように言われました。主は、それか ら使徒たちからは少し離れて、大きな岩の上に御自身ひれ伏して祈られました。イ イススは祈られ、心は私達のことを思う苦しみのために、実に血の汗を流されたほ どでした。ここで、イイススは、私達を、私達自身の罪から救うために、御自身を 犠牲にされました。だがイイススは、御自身が私達のために苦しまれた後になって も、私達が犯すに違いないあらゆる悪い事についてあらかじめ見ておられました。

イイススはまた、人々がどのようにして主を受け入れることを拒むか、何人の人が 主と、主の聖なる使徒の教会に背を向けるかについてもあらかじめ解っておられま した。主はすべての人を愛し、そこで主は私達の罪を御自身のもとに引き取られ、 私達を救うために拷問を受け、十字架にかけられることをも受けられました。これ を「受難の愛(無償の愛)」といいます。それは私達の神キリストがこの地上に降 り、人間の手によって苦しまれ、しかも、私達自身の罪と、悪い行いのために苦し まれたからです。一方、使徒の一人イウダ(ユダ)は、ユダヤの悪い支配者と会い ハリストス(キリスト)を売る約束をしました。これらの悪い人達は明るい間にハ リストスを捕らえることには消極的でした。と言うのは、とても多くの人達がイイ ススを尊敬し、慕っていたからです。そこで支配者たちはイイススを捕らえるため に、夜になってから、イウダ(ユダ)に先導された兵隊を出発させました。

主は、御自分が祈っておられる間に眠ってしまったお弟子さんたちをご覧になり、 彼らを起こしに行かれました。イイススが弟子たちと話しているところにイウダと兵隊たちがやって来ました。イウダは兵隊たちに私達のハリストス(キリスト)を 指し示しました。主は兵隊たちが御自分を捕らえるままにされ、兵隊は主を悪い支 配者の前へ引き立てて行きました。支配者たちはあらかじめ何人かの人々にお金を払い、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)について嘘と 中傷 を言うように しておいたため、支配者たちは主を有罪とし、死刑に決定することができました。 人々が主に対する数多くの嘘の訴えを並べたてた後、人々はイイススを裁判のため にローマの法廷にひっぱて行きました。裁判ではあらゆる嘘の訴えがなされましたが、主は自らをかばうことはありませんでした。悪いユダヤ人達はローマの裁判官 であるポンティオ・ピラトにハリストス(キリスト)を十字架の刑に判決させまし た。裁判の後、イイススは連れ出され、ローマ兵から拷問を受け、鞭打たれました。

そして、十字架にかかる場所に連れて行かれ、十字架の上に釘打たれました。十字 架の上では私達のために数え切れない程多くの苦しみを受けられた後、私達の罪の ために自ら死ぬことを受けられました。

主が十字架上で息を引き取られた後、アリマタヤのイオシフ(ヨセフ)そしてニ コデイム(ニコデモ)と言う、主に 忠実 な何人かの弟子たちがやって来て、尊 い そのお体を十字架から降ろしました。イイススのお弟子さんたちは、それから細長 い麻布をもって来て、イイスス様のお体に香料と薬品を塗りました。彼らはイイス スのお顔には布を巻かず、最後に皆、イイススに「さようなら」のくちづけをして、 顔に布をかけ、それから主が十字架にかかった場所近くの墓に葬りました。墓の入 口はそれから、大きな丸い石で閉じられました。

ハリストスの使徒たちの方は、がっかりしてしまい、どこかへ行き苦悩で泣きな がら神様に祈っていました。使徒たちには、まだイイススが死に打ちかつため、私 達のために自ら甘んじて死なれたことがわかりませんでした。使徒たちは、まだど のようにして主が三日後に死から再びよみがえるのか解りませんでした。

聖大金曜日になって、私達の救い主の聖なるお体は墓の中に移されました。だが、 イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は真に神であり、そこで、主の、人としての体が死んだのでありました。神として、救い主はすでに死んだ総ての信仰深 い人の 霊 のうちに宿り、主はこれらの人達に死が打ち砕かれたこを現し、そして 彼らもまた最後の日には死からよみがえり、そして、主と共に永遠にいるであろう、 ということを示されました。これは、聖大土曜日のできごとです。

日曜日、つまり、週の最初の日の朝早く、我らの主であり救い主であるイイスス・ ハリストス(イエス・キリスト)は栄光のうちに墓から起き上がりました。イイスス には、自分が墓から出るために石をよけておかなければならない理由はありません でした。主は墓がまだ閉ざされている間に、墓から出られました。墓から出られた 後、イイススは天使達に弟子たちが墓の中にはいれるように、そして、死からの主 の復活の証人が墓の中に入れるように石を動かしておくよう命じられました。

夜が明け、空が白みかけると、イイススの忠実な弟子の何人か、つまりマグダラ のマリヤ、マリヤと何人かの他の熱心な婦人たちは祈り、良い薫りがする油と香料 をハリストスのお体に注ぐために墓にやってきました。墓の入口には何人かのロー マ兵がハリストスの墓の番をしており、人々を追い払っていましたが、婦人たちは 兵隊たちに大きな石を動かし、墓の中に入れてもらいたいと考えていました。だが、 兵隊たちはどこかに行ってしまい、おりません。それは兵隊たちの目の前に天使達 が現れて、石を動かした時に兵隊たちは恐ろしさのあまり逃げ出したのでした。

信仰篤い婦人達が墓に着いた時、婦人達が見たものは墓の入り口は開き、兵士達 はおらず、しかも墓がもぬけのからになっている有り様でした。婦人たちが墓に来 ると主の使いが婦人たちに言いました。「あなた達は生きているお方を、どうやっ て死んだ人の中から捜し出すのですか。あなた達が捜している人はここにはいませ ん。その人はよみがえりました。ご覧なさい、その方が横たわっていた、その場所 を見なさい。急いで行って、弟子達とペトル(ペテロ)に主が死から復活し、あな た方とはガリラヤで会うだろうと伝えなさい。」   それから少しして、マグダラのマリヤはもう一度墓を見に戻って来ました。そこ で主は自らマリヤに現れて、マリヤを慰められました。聖使徒のペトルとイオアン (ヨハネ)もハリストスの復活を聞くと、墓に駆けつけ、イイススが本当によみが えったことを知りました。二人は喜び、神様を賛めたたえながら墓から戻って行き 弟子達は皆、主が再び彼らと会う約束をされたガリラヤへと出かけて行きました。

ここでもまた、主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)は弟子達に多くの ことを教えられました。後に使徒達が祈るために一室に集まっていると、突然その 部屋に主が現れ、ハリストスの聖なる教会について話しをされました。ここで主は 私達に聖神の受け方を教えられました。ハリストスは使徒の上に息を吹きかけ「聖 神を受けなさい」と言われました。これは、ちょうど今日、私達の洗礼の後で主教 様あるいは神父様が行うのと同じです。

数十日して、イイススは、天国へ昇られる前の最後の教訓を教えるために、弟子 達をエルサレムから離れたオリブ山の山頂に集められました。

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