京都ハリストス正教会・生神女福音聖堂

外観

所在地・問合せ
住所
〒604-0965
京都府京都市中京区柳馬場通二条上る6丁目283
所在地マップ
TEL/FAX
075-231-2453
管轄
長司祭 パウェル 及川 信
E-mail
ocj_kyoto@yahoo.co.jp
URL
http://www.geocities.jp/rxjkx321/

京都府での正教伝道は、徳島に派遣されていた丹後地方間人(たいざ)出身のパワェル中小路伝教者が帰省中に間人や峰山で公開説教を行った明治13(1880)年にさかのぼる。
京都市内では、同22(1889)年に市の中心部「押小路通高倉西入る」に講義所を設立。
キリル笹葉政吉が専任伝教者として派遣され、大阪正教会管轄司祭イオアン小野荘五郎の臨時管轄下で伝道活動が開始された。
翌23年から26(1893)年までは、ロシア人修道司祭セルギイ(・ストラゴロドスキイ。後のロシア総主教。日本では掌院セルギイ「北海道巡回記」著者としても著名)が20歳代半ばの3年間京都での牧会にあたっている。
同27(1894)年に着任したシメオン三井道郎管轄時代、同30(1897)年に現在の境内地「柳馬場通二条上る(やなぎのばんばどおりにじょうあがる)」の京都能楽堂跡地を購入。
同34年12月には京都府技師松室重光の設計監督になる現在の聖堂、生神女福音(しょうしんじょふくいん=受胎告知)聖堂が完成、同36(1903)年5月ニコライ主教の司祷により成聖された。
当初は寮制の京都正教女学校も敷地内に併設され、東京からナデジタ高橋五子(いね)が舎監として派遣された。
同39(1906)年にはアンドロニク(・ニコリスキイ。主教としての駐日期間は3ヶ月のみ)が、ニコライ主教の補佐として「京都の主教」に叙聖された。(アンドロニクは、ロシア革命戦火の只中1918年に共産軍兵士に処刑された。2000年、ロシア正教会はアンドロニクを「神品致命者」として聖人に列した。)
明治41(1908)年に来日しニコライ主教没後日本正教会の首座主教となったセルギイ(・チホミロフ)も、名目的なものとはいえはじめは「京都の主教」の肩書であった。アンドレイ目時金吾管轄時代を経て、昭和7(1932)年着任したヴィッサリオン高橋長七管轄時代は、第二次世界大戦前後の困難な時代だった。戦火を免れながらも、大戦末期に聖堂が「建物疎開」の命令を受けて取り壊し寸前となったが、終戦により幸いにも取り壊しを免れた。他の歴代管轄司祭には、グリゴリイ内藤三雄、ワシリイ酒井満、イアコフ日比義夫、マルコ小池祐幸らがいる。
同61(1986)年には京都市より有形文化財に指定され、翌62年には聖堂銅板屋根全面改修をはじめとした大規模な修復工事を、平成11(1999)年には床板修理・絨毯復原新調・内外塗装修理等を行い、現在に至っている。
「大学の街」京都にある教会として世界各地正教国からの研究者や留学生の参梼増加も近年の特徴に挙げられる。
2000年5月には、ロシア正教会アレクシイ総主教も当教会を訪れている。(文中敬称略)

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