盛岡ハリストス正教会・聖十字架挙栄聖堂

外観

内観

所在地・問合せ
住所
〒020-0114
岩手県盛岡市高松1-2-14
所在地マップ
TEL/FAX
019-663-1218
管轄
司祭 ダヴィド 水口 優明
E-mail
morioka.orthodox@gmail.com
URL
http://www17.plala.or.jp/moriokaorthodox/
祈祷案内
お祈り(晩祷・聖体礼儀)

・晩祷

毎週土曜日 午後5時
(ただし第3土曜はお休み)

・聖体礼儀

第1・3日曜日 午前10時

※月によって変動あり。
詳細は問い合わせてください。

盛岡市立公園「高松の池」に程近い高台にあり、国道4号線から大きな鐘楼とドームが見える。岩手、青森、秋田を管轄する中心教会。イコノスタスは山下りんの聖像。

教会の沿革

盛岡正教会の歴史は、函館において亜使徒聖ニコライから洗礼を受けたペトル大立目謙吾(後に伝教師となるもその後は政界に転じる)が、1873年(明治6年)に盛岡を訪れたところから始まる。これは、盛岡における最初のキリスト教伝道だったと言われている。そして同年12月にマトフェイ影田(後に司祭となる)が盛岡への伝教を命じられ、本格的に伝道が開始された。

盛岡教会において最初に洗礼が行われたのは、1874年(明治7年)で、4月に4人、7月に17人が受洗している。また、翌年の1875年(明治8年)、パウェル沢辺神父巡回の折、73名もの受洗者があったことが記録に残る。

1876(明治9年)年に盛岡市内の加賀野新小路にあった旧武家屋敷が買い求められ、会堂として使用された。祈祷所として改装された部屋を除いても7部屋もある広い家屋だったらしい。蒲萄や梨や桃を植えた小さな庭園もあった。当初より盛岡教会は「十字会」と称せられた。現在の聖堂の名称が十字架挙栄聖堂であるのはこれに由来する。

1879年(明治12年)にはイオアン川股篤礼神父が着任、その後、針生神父、影田神父、山村神父、山縣神父などが赴任し、旧南部(岩手県中北部)、津軽(青森県)、佐竹(秋田県)各藩の地域の中心教会となった。
しかし、その後1917年(大正6年)のロシア革命を契機に教役者の数も激減し、
1945年(昭和20年)8月の終戦まで盛岡正教会も戦時中の迫害等の苦難の道を辿ったが、管轄司祭は、桜井神父、武岡神父、小野神父、森神父、泉澤神父と、辛うじて絶えることなく常駐し、管轄内の信徒と協力して信徒の離反を防ぎ守った。終戦後、初代会堂の老朽化を受け、1960年(昭和35年)現在地に聖堂が建立された。

盛岡正教会とその周辺から多くの神品教役者を生んだ。長司祭シメオン三井道郎、マトフェイ上田将(翻訳)、ペトル内山彼得(神学校教授)らが知られている。
また、南部藩家老楢山佐渡の一族ステファン楢山隆薫、金田一京助や石川啄木らを教えた教育者ペトル新渡戸仙岳、自由民権運動家の横川省三(三田村勇治)、植物学者で紫波町の名誉町民であるダニイル須川長之助、昭和15〜18年に盛岡市長をつととめたアレキサンドル見坊田雄など、多くの先人たちをはぐくんだ。

また、わが国の女流洋画家の草分けでもありわが国唯一の女流イコン画家イリナ山下りんの聖像を10数点所蔵している。

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