石巻ハリストス正教会・聖使徒イオアン聖堂

外観

内観

所在地・問合せ
住所
〒986-0827
宮城県石巻市千石町4-10
所在地マップ
TEL/FAX
0225-95-1571
管轄
司祭 ルカ 田畑隆平
E-mail
fr.fuke-10.31@grace.ocn.ne.jp
祈祷案内
お祈り(晩祷・聖体礼儀)

・晩祷

第1・3土曜日 午後6時

・聖体礼儀

第1・3日曜日 午前10時

北上川河口周辺は石巻を中心として多くの正教会が誕生した。その後、逐次併合されながら今日に至る。現聖堂は宮城県沖地震の後に新築。1879年(明治12)に建立された初代聖堂は、国内最古の木造教会建築として石巻市中瀬公園に保存公開されていたが、2011年の東日本大震災で津波被害を受け、現在解体・再建が模索されている。

教会の沿革

石巻地方の最初の信者は、聖ニコライが全国布教の本拠を東京神田駿河台の現在地に置くとともにただちに行われた洗礼の第2回目(1872年12月)に受洗したセルギイ勝又c(牡鹿郡湊村・現石巻市湊)であった。以後、各所に伝教者が派遣されて布教が行われ、先ず湊においてボリス山村伝教者の活躍により1877年(明治10年)1月8日モイセイ平塚恒次郎ら29名がパウェル澤辺神父の巡回時に洗礼を受け「湊聖枝教会」が誕生した。また、石巻でもペトル朽木伝教者の布教によって1877年12月11日イオアン伊藤忠右衛門ら23名が澤辺神父から洗礼を受けて教会を創立、当初は「石巻光明会」と称した。1879年(明治12年)11月には石巻市街地中心部に近い現在地に木造総二階建て瓦葺の本格的な十字架型会堂を建立し、その脇に教役者住宅も併設した。これを機に教会の名称を石巻光明会から「石巻聖使徒イオアン教会」に改名した。

桃生郡においてはパウェル石井伝教者の布教により1881年(明治14年)4月14日中島村(現河北町中島)のティモフェイ門間徳右衛門ら13名が、1878年から佐沼に常駐していたマトフェイ影田神父の巡回時に洗礼を受け「中島洗礼教会」を創立した。鹿又村(現河南町鹿又)では、イオアン伊藤伝教者の布教によって1898年(明治31年)3月6日アンナ渡辺つま他14名がイオフ水山神父から受洗。続いて同町広淵、和淵でも受洗者があってそれぞれ教会が創立された。釜村(現石巻市釜)でも1885年(明治18年)、当時石巻の伝教者であったスピリトン大嶋がパウェル渡辺補助伝教者とともに布教に努め「釜教会」が誕生。次いで渡波(現石巻市渡波)、女川、名振(現雄勝町名振)等にも布教されて受洗者が相次ぎ、わずか10数キロ四方の地域に10箇所もの教会が20年あまりの間に続々と誕生した。

ところがその後、社会状況の悪化やロシア革命による母教会との交わりの途絶など、厳しい試練が続く中で教役者(特に伝教者)が激減し、その結果教勢は頭打ちの状態から長い低迷期が続き、信徒数も減少の一途を辿るばかりとなった。こうしたことから、周辺各教会はいずれも独自の体制を維持することが出来なくなり、逐次聖使徒イオアン教会に併合して今日に至る。

初代会堂(1879年建立)は1978年(昭和53年)の宮城県沖地震によって壊滅的な損傷を被ったことから改築することになった際、現存する木造の教会堂としては日本最古のものということから市民有志の手により市民共有の文化遺産として石巻市中瀬公園に復元移転されて現聖堂も改築された。旧会堂は石巻名所の一つとなっていたが2011年3月11日の東日本大震災で津波による壊滅的な被害にあった。石巻市は旧会堂の再建を決め、現在その再建場所を検討中である。現聖堂も約1メートルの津波浸水があったがすぐに修復された。

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